精工堂スタッフブログ / 山形県河北町のメガネ・宝飾・時計販売店 精工堂

精工堂スタッフブログ

年末年始の営業案内

 

 

 

いつも当店をご愛顧頂きまして、

誠に有り難うございます<m(__)m>

 

 

今年も残すところあとわずかとなりましたが、、、

年内は休まず営業致します。

 

 

新年1月1日~3日は休業とさせて頂きます。

 

 

何卒宜しくお願い申し上げます<m(__)m>

 

 

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あの頃の僕は何にも出来なかった・・・最終章

 

 

 

かなり間隔が空いてしまい、大変申し訳ございません。

 

 

勝手にシリーズ化しちゃった感はありましたが、、、

 

いよいよ今回が最終章ということで、

書かせて頂ければと思います。

 

 

小学校中学年の頃は、私の人生においておそらく

1番というくらいに情緒不安定な時期でした。

 

自分がどのように生きたらいいのか、本気で

わからなくなり途方に暮れていたような気がします。

 

 

そんな時、立ち直るきっかけをくれた人物がいます。

 

それは私よりも4歳年上のいとこの存在でした。

 

彼は当時、ザ・ブルーハーツの大ファンで、

遊びに行くと必ずCDを聴かせられました(笑)

 

そうしているうちに私もブルーハーツが好きになり、

その中で1番興味を持ったのは

『TRAIN-TRAIN』のある歌詞でした。

 

 

“ここは天国じゃないんだ かと言って地獄でもない

いい奴ばかりじゃないけど 悪い奴ばかりでもない”

 

 

なるほど~、この世は良いことばかりではないけど、

一方で悪いことばかりでもないんだな~と。。。

 

聖者にはなれなくても、自分なりに生き抜いて

みようと強く思ったのでした。

 

 

私は決して器用な人間ではなく、超が付くほど

不器用な人間です。

 

そして私はもちろん天才型ではなく、いわゆる

努力型の平々凡々な人間です。

 

それは昔も今も変わらずですが、情けなくて

カッコ悪い自分自身と仕方なく向き合って

これからも生きてまいりたいと願います。

 

 

私のつたない昔話に、最後まで気長にお付き合いを

頂きましたこと、心より感謝申し上げます。

 

ご要望がありましたら、またいつかこのような

昔話を書かせて頂くことがもしかしたらあるかも。

 

またその日まで~。

 

 

※通常のブログには、これまで通りお付き合い

頂けましたら幸いでございます<m(__)m>

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2024年流行語大賞は「ふてほど」

 

 

 

いつも当店をご愛顧頂きまして、

そして当ブログをご覧頂きまして

誠に誠に有り難うございます<m(__)m>

 

早いもので、前回ブログを更新してから

1か月が経とうとしております・・・(^_^;)

 

 

“あの頃の僕は何にも出来なかった”

 

思いがけずにシリーズ化しておりまして、

早く続きが知りたい・・・という方も

少なからずいらっしゃいましたが。。。

 

完全にストップをしてしまっておりまして、

誠に誠に申し訳ございません<m(__)m>

 

 

何とか年内中には更新出来ればと思いますので、

どうかあまり期待はせずにお待ち頂けましたら

幸いでございます<m(__)m>

 

 

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あの頃の僕は何にも出来なかった・・・④

 

 

 

前回の続きを書かせて頂ければと思います。

 

 

3・4年生合同の自由研究発表会が思いのほか

上手く行き、一躍時の人のようになってしまった私。

 

世の中というのは良くも悪くも色んな人が居て

成り立っているわけで、そんな私を良く思わない、

いわゆるアンチが出現するようになります。

 

 

アイツは調子に乗っている。

 

ただの目立ちたがり屋。

 

 

等々、そんな意見は軽く無視をすれば良いだけ

だったのでしょうが、メンタルの弱い私は

ショックを受けてしまい、、、

 

スランプに陥り、また以前のように赤面して声が

震える自分に程なくして戻ってしまうのでした。

 

“出る杭は打たれる”というやつでしょうか。。。

 

 

『普通』って何かもちろんわかりませんでしたが、

とにかくその『普通』という漠然としたものを

目指して生きてみようなんて本気で悩んでいました。

 

今振り返れば、小学生らしくありのまま思うままに

楽しく生きれば後悔はなかったのかな、、、なんて

感じたりもしてはいます。

 

しかしながら、嫌なこともたくさん経験しながら

人は成長を積み重ねていくのでしょうから、

当時の出来事も必要だったのかなとは思います。

 

 

我が人生、行動するよりも頭で考えすぎてしまう

というのは、昔からなのだなと猛省ですね。

 

 

このまま書き続けることも出来なくはないですが、

次回あたりをまとめの回にしたいと思います。

 

いつも当ブログにお付き合いを頂きまして、

誠に有り難うございます<m(__)m>

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あの頃の僕は何にも出来なかった・・・③

 

 

 

また前回の続きを書かせて頂きます。

 

 

良い恩師に恵まれ、少しずつではありますが

小学生という立場に慣れていきました。

 

それでも、周りの生徒に比べたらまだまだの

存在であるというコンプレックスがありました。

 

極度のあがり症で、授業中に発言しようと

すると顔が真っ赤になり、声が震えてしまう

のは、本当に嫌で嫌で仕方がありませんでした。

 

 

そんな私にある転機が訪れます。

 

小学校3年生の頃、夏休みの課題として提出、

そしてクラスで心臓バクバクになりながらも

どうにかこうにか発表を済ませた自由研究。

 

なぜかそれが先生方に受けてしまい、

クラスの発表会だけではもったいない。

 

3・4年生合同の発表会を開くから、

そこでも是非発表をしてくれないか。

 

担任の先生に嬉しそうにお願いされて、

ただただビックリ。

 

光栄な話ではありましたが、、、

 

本音としてはもちろん断りたかった~。。。

 

 

しかしながら、3年間この担任の先生にどれだけ

お世話になったのか、そしてまた先生の喜んだ顔を

見てみたい。

 

そんなことを思いながら、恩返しのつもりで

思い切って引き受けることにしました(^_^;)

 

 

当日までの約1週間、恥をかきたくなかったし、

発表の練習をとにかく頑張りました。

 

もしかしたら、あれが人生で初めての努力という

ものだったのかもしれません。

 

 

迎えた当日。

 

不思議なことにいつものような緊張感はなく、

発表の途中にアドリブを入れたり、楽しんで

くれているかなと3・4年生総勢150人以上の

顔を見れるほどの余裕までありました。

 

 

俺だってやれば出来るんだと自身の成長を実感し、

人生に希望の光が見えた瞬間でありました。

 

 

ただ、、、

 

そう上手くばかりは行かないのが人生というもの。

 

 

この後一体何があったのか。。。

 

続きはまた後日。

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