精工堂スタッフブログ / 山形県河北町のメガネ・宝飾・時計販売店 精工堂

2024年11月

あの頃の僕は何にも出来なかった・・・④

 

 

 

前回の続きを書かせて頂ければと思います。

 

 

3・4年生合同の自由研究発表会が思いのほか

上手く行き、一躍時の人のようになってしまった私。

 

世の中というのは良くも悪くも色んな人が居て

成り立っているわけで、そんな私を良く思わない、

いわゆるアンチが出現するようになります。

 

 

アイツは調子に乗っている。

 

ただの目立ちたがり屋。

 

 

等々、そんな意見は軽く無視をすれば良いだけ

だったのでしょうが、メンタルの弱い私は

ショックを受けてしまい、、、

 

スランプに陥り、また以前のように赤面して声が

震える自分に程なくして戻ってしまうのでした。

 

“出る杭は打たれる”というやつでしょうか。。。

 

 

『普通』って何かもちろんわかりませんでしたが、

とにかくその『普通』という漠然としたものを

目指して生きてみようなんて本気で悩んでいました。

 

今振り返れば、小学生らしくありのまま思うままに

楽しく生きれば後悔はなかったのかな、、、なんて

感じたりもしてはいます。

 

しかしながら、嫌なこともたくさん経験しながら

人は成長を積み重ねていくのでしょうから、

当時の出来事も必要だったのかなとは思います。

 

 

我が人生、行動するよりも頭で考えすぎてしまう

というのは、昔からなのだなと猛省ですね。

 

 

このまま書き続けることも出来なくはないですが、

次回あたりをまとめの回にしたいと思います。

 

いつも当ブログにお付き合いを頂きまして、

誠に有り難うございます<m(__)m>

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あの頃の僕は何にも出来なかった・・・③

 

 

 

また前回の続きを書かせて頂きます。

 

 

良い恩師に恵まれ、少しずつではありますが

小学生という立場に慣れていきました。

 

それでも、周りの生徒に比べたらまだまだの

存在であるというコンプレックスがありました。

 

極度のあがり症で、授業中に発言しようと

すると顔が真っ赤になり、声が震えてしまう

のは、本当に嫌で嫌で仕方がありませんでした。

 

 

そんな私にある転機が訪れます。

 

小学校3年生の頃、夏休みの課題として提出、

そしてクラスで心臓バクバクになりながらも

どうにかこうにか発表を済ませた自由研究。

 

なぜかそれが先生方に受けてしまい、

クラスの発表会だけではもったいない。

 

3・4年生合同の発表会を開くから、

そこでも是非発表をしてくれないか。

 

担任の先生に嬉しそうにお願いされて、

ただただビックリ。

 

光栄な話ではありましたが、、、

 

本音としてはもちろん断りたかった~。。。

 

 

しかしながら、3年間この担任の先生にどれだけ

お世話になったのか、そしてまた先生の喜んだ顔を

見てみたい。

 

そんなことを思いながら、恩返しのつもりで

思い切って引き受けることにしました(^_^;)

 

 

当日までの約1週間、恥をかきたくなかったし、

発表の練習をとにかく頑張りました。

 

もしかしたら、あれが人生で初めての努力という

ものだったのかもしれません。

 

 

迎えた当日。

 

不思議なことにいつものような緊張感はなく、

発表の途中にアドリブを入れたり、楽しんで

くれているかなと3・4年生総勢150人以上の

顔を見れるほどの余裕までありました。

 

 

俺だってやれば出来るんだと自身の成長を実感し、

人生に希望の光が見えた瞬間でありました。

 

 

ただ、、、

 

そう上手くばかりは行かないのが人生というもの。

 

 

この後一体何があったのか。。。

 

続きはまた後日。

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