『普通』
よく耳にする言葉ではありますが、これほど漠然とした意味の
言葉は他にはないのではないかと個人的に感じるほどです。
私が幼稚園児の頃、何カ月に1度か知能検査というものを
受ける機会があって、それが物凄~く苦手でした。
何を意図して行われるものかが正直全く理解出来なかった。
ある時、勇気を振り絞ってどうすれば出来るようになるか、
その当時の担任の先生に聞いてみたことがありました。
そしたら、意外な返事が返ってきました。
「普通の子だったら、普通に出来ることなんだけどねぇ。」
僕は普通の子じゃないんだ、、、とショックを受けました。
そんなことがあったから、幼稚園やその先生を
どうしても好きになれなかったんだと今は思います。
強い劣等感を抱きながら小学生になった私。
全くもって出来の良い生徒ではありませんでしたが、
その当時の担任の先生は私の悪い所は決して指摘せず
良い所をたくさん見つけては褒めてくれる方でした。
人生における“出逢い”って大切だナァとつくづく感じます。
もう30年以上も前の話ではありますが、その当時に
先生に褒められたことが、いまだにと言いますか
私の長所として我が人生を支えていたりもします。
この歳になっても『普通』という言葉に縛られ、
神経質になっている我が人生ではありますが。。。
【生きてる証を 時代に打ち付けろ
貧弱な魂(ソウル)で 悪あがきしながら
何度へましたっていいさ 起死回生で毎日がレボリューション
人生はフリースタイル 孤独でも忍耐】
こちらのミスチルの歌詞のように、若いうちは特に
誰かが勝手に言っている都合の良い『普通』なんて
いう言葉に流されずに、伸び伸びと育って欲しいと
息子達に伝えたいですね。
『普通』は確かに大切だと思いますが、
『誰かの都合の良い普通』なんてクソくらえ!
あっ、、、失礼しました<m(__)m>
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